ティファニー Tiffany&Co. |
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創業 | 1837年 |
創始者 | チャールズ・ルイス・ティアファニー |
本社 | アメリカ |
公式ホームページ | http://www.tiffany.co.jp/ |
価格と商品例
ブランド略歴
「A Life Time of Tiffany 〜人生にティファニーを」のメッセージで知られるティファニーの創業者チャールズ・ルイス・ティファニーは、1837年ブロードウェイ259番地に友人と共同で文房具と装飾品の店「Tiffany&Young」をオープンしたのがティファニーの歴史の始まりでした。
そして、ティファニーのアメリカでの宝石商としての地位を確固たるものになったのは1837年のこと。二月革命から逃れたフランス王室からダイヤモンドの王冠を購入し、アメリカに持ち帰ったのです。これにより、ティファニーのデザインを見極める目とビジネスの手腕は話題を呼び、メディアからは「キング・オブ・ダイヤモンド、ティファニー」との賛辞を贈られます。
1845年、「Tiffany,Young&Ellis」社として最初のカタログを発行。これは、現在発行されているカタログにも「ブルー・ブック」として継承され、ティファニー・ブルーはここから生まれました。この頃からケースなどにも水色のパッケージが使われるようになります。
1848年、2月革命から逃れたフランスの貴族たちより宝石を格安で入手し、これによりティファニーは、アメリカを代表する宝石商としての地位を確立しました。1851年にスイスの老舗時計ブランド、パテック・フィリップと提携を結び、アメリカで初めて同社の時計の販売を手がけたました。
ティファニーの銀製品に、世界中が注目し始めた1851年、ティファニーが初めて用いた純度92.5パーセントのスターリングシルバーは、後にアメリカ合衆国における公式な純度基準となりました。
そして、1853年、チャールズ・ルイス・ティファニーが共同経営者達から経営権を買い取り、「Tiffany&Co.」と改称、ブロードウェイ550番地に移転。
1870年代には時計作りの本場ジュネーブに工場を構え、念願の自社の時計の製作をスタートさせます。1886年には1粒のダイヤモンドを6本の立て爪で留める「ティファニーセッティング」が生み出され、ダイヤモンドの輝きを最大限に引き出すスタイルが確立しました。
1926年にはティファニーが用いていたプラチナの純度基準は、アメリカ合衆国の公式な純度基準となりました。
1940年本社を現在の5番街57丁目に移転。1952年パリ店を閉店。
1969年チャールズ・ルイス・ティファニーの玄孫、ヘンリー・B・プラット・ティファニーはタンザニアで発見されたブルーのカラーストーンであるブルーゾイサイトを「タンザナイト」として発表。
1940年、イタリア生まれのペレッティは、ベストセラー商品「オープンハート」をデザイン。
1950年代からはジーン・シュランバーゼやエルサ・ペレッティ、パロマ・ピカソなどのデザイナーとのダブルネームで次々と新作を発表し、さらに1961年に公開された映画『ティファニーで朝食を』を機に「夢と希望と満足を」という創業者の託されたジュエリーが、幸せの象徴として今も多くの女性を魅了しました。